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朗読 『一日の発見 365日の黙想』1月1日

1月1日

アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図

マタイによる福音書1章1節


 今日の聖句は、マタイ福音書の出だしの言葉である。マタイが福音書の冒頭に系図を記したのは、イエス・キリストの誕生は、神がイスラエルの父祖アブラハムを選んだ時に始まった「神の救いの歴史」の出来事であることを伝えるためである。神の救いの歴史は、人の歴史と重なっているが、神の意志が働く、信仰によって知る歴史である。聖書は、神の救いの歴史を記す信仰者の証言である。

 神は天と地とを創造し、最後に愛を込めて、人をご自分に似せて創造した。すなわち、人を神の言葉に応える自由な意思を持つ人格的存在として創造した。しかし、人は神の言葉に聞き従わず、互いにかみ合い、滅ぼし合っている。そこで、神は人に神の言葉を持ち運ぶ神の民をおこすために、アブラハムを選んだ(創世記12:2)。そして、アブラハムから興ったイスラエルの民をエジプトの地から導き出し、民に神の意志を明らかにしたモーセの律法を与えた(出エジプト20章)。また、預言者たちを通して、人が罪によって滅びることを望まない神の熱愛を語り、人を罪から救う救い主(メシア)の派遣を約束した。
 マタイは系図によって神の救いの歴史を語り、時が満ちて、「メシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」(16節)、「この子は自分の民を罪から救うからである」(21節)と、喜びの福音を告げる。私たちは救いの歴史を通して語る神の言葉を聞くことによって、神とお会いする。イエス・キリストの救いは人の思索や願望から生まれたのではなく、神の救いの歴史の出来事である。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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