敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
マタイによる福音書5章44節
この世には、復讐の連鎖が止まらず、争いがますますエスカレートしてゆく現実がある。この現実を断ち切るのは、主イエスが語られた今日の聖句のように、「敵を愛する」以外にはないであろう。その意味で、主イエスの教えは素晴らしい。しかし、これを実行するのは不可能に近いので、人々は主の言葉に失望するか、理想の教えとして棚上げしてしまう。
主イエスは理想を語ったのだろうか。否、主イエスは敵を愛し、敵のために祈れと教えると同時に、その戒めを実行できる道も用意しておられる。それは主イエスによって開かれた十字架の福音である。主は十字架の上で、自分を殺す者たちのために「父よ、彼らをおゆるしください」と祈り、「敵を愛せよ」という戒めを身をもって実行した。人を赦すことができず、神の敵でさえあった私たちのために、神の御子イエスは苦しみを受けながら、その赦しを父なる神に執り成したのである。私たちは自分の罪深さを知って、主イエスの十字架を仰ぐ時、罪の赦しの恵みにあずかり、神との交わりに入れられる。そして、神との交わりを持つことによって、聖霊は私たちのうちに神の愛を注ぎ、私たちをして「主よ、御心をなさせてください。敵を愛し、赦すことができるようにしてください」と祈る者とする。
主イエスは私たちに愛の教訓を説いているのではなく、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と言われるのである。憎しみの連鎖を断ち切る道は、主イエスの十字架を仰ぎ、十字架に現われた神の愛を知ることから始まる。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。