11月24日
この病気は死で終わるのではない。神の栄光のためである。
ヨハネによる福音書11章4節
ベタニアにラザロとその姉妹が住んでいた。主イエスはその家をよく訪ねられた。そこには主が彼らを愛し、彼らも主を愛する人格的な交わりがあった。遠い地でラザロの病気の知らせを聞いた主イエスは、すぐにベタニアに向かおうとせず、弟子たちに今日の聖句を語って、なお二日間同じ場所に滞在した。主イエスはラザロの病気が死ぬほど重くはないと言ったのではない。主はラザロの死期が近いことを知っておられた。主イエスはご自分とラザロとの人格的な交わりは、肉体の死によって終わるものではないと言ったのである。
人間は食べて生きる生物的存在であると同時に、他者との交わりによって生きる人格的存在である。神は人間を人間同士の交わりだけでなく、神との交わりを持つ者として創造した。神は人間に神との交わりを土台として、他者との交わりを築き、社会を形成することを求められる。神との交わりのない人間は、神の目には失われた者であり、霊的に死んでいる
「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる(エゼキエル18:32)。人の死を喜ばない神は御子イエスによって人の罪を贖い、人が神に立ち帰る道を開いてくださった。今や、主イエスを信じる者は罪を赦されて、神との人格的な交わりを回復する。神の前に出る礼拝を喜び、神から霊的な祝福をいただき、この世の遣わされた場所で神の御心に応えて生きる。神との交わりは永遠であって、肉体の死によって消滅するものではない。主イエスはこの奇跡によって、ご自分との交わりを持つラザロの死が消滅ではなく、復活であることを示されたのである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。