見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。
マルコによる福音書3章34~35節
「あの男は気が変になっている」という噂を聞いて、主イエスの身内の者は心配した。しかも、エルサレムから来た律法学者たちが「あの男はベルゼブル(悪霊)に取りつかれている」と言うに及んで、家族は主イエスを家に連れ帰ろうと、母マリアを伴ってやって来た。人々が主イエスを囲んでその教えに耳を傾けている場所に、家族の来訪が告げられた。すると、主は「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と言い、周りに座っている人々を見回して、今日の聖句を語った。
この言葉は、律法に厳格なユダヤ社会において、「あなたの父と母を敬いなさい」という戒めを否定するものであり、家族は勿論、聞いた人々も衝撃を受けたであろう。主イエスは肉の家族を超えた、神の家族のことを言われたのである。「神の御心を行う人」とは、前後の文脈から分かるように、主イエスのそばに居て、み言葉に耳を傾ける人である。主のそばでみ言葉を聞く人々に聖霊が働き、聖霊に生かされる神の家族が生まれるのである。
主イエスは新しい神の家族を造るために来られた。しかし、そのことは地上の家族を無視することではない。主イエスは死を前にして、愛する弟子に母マリアを託された(ヨハネ19:26~27)。使徒たちは両親や家族を大事にするようにと教え、信徒たちが地上の家族関係を良く築くことを勧めている(Ⅰテモテ5:4他)。「教会」は神の家族であり、「神の御心を行う」者たちの群れである。何よりも神の言葉を聞いて、神の恵みの中で生きる者たちの集まりである。神との関係が家族より先にあるのであり、そのことによって家族は正しく基礎づけられ、祝福される。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。