すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。
ローマの信徒への手紙2章1節
使徒パウロが語る今日の聖句は、「人を裁くな。あなたがたも(神に)裁かれないようにするためである」(マタイ7:1)と言われた主イエスの言葉に通じる。罪とは、人間が神を差し置いて自らを善悪の判断主体であると思い込むことである。創世記は、「それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなる」と囁く蛇(サタン)の誘惑に負けて、人は罪に堕ちたと語る(創世記3:5)。人間の罪は、自己の判断を絶対化して他者を裁くことにおいて表われる。すなわち、罪は他者の在りようを決めつけ、差別し、報復し、抹殺する。人を正しく裁くのは神である。他者を裁く行為は神の裁きに信頼しない罪であって、この点において私たちは皆、弁解の余地がない。
しかし、感謝すべきかな。神はイエス・キリストを通して私たちに「慈愛と寛容」(4節)を示してくださった。主イエスを通して、私たちは自分の罪に気づかされ、打ち砕かれたが、同時に、罪人を赦し、憐れんでくださる神にお会いした。そして、神の慈愛と寛容は自分だけでなく、他者にも注がれていることを知った。それゆえ、もし私たちが自分たちは神に愛されており、神を知らない者たちはそうでないと考えて心の中で裁くならば、罪を犯すことになる。その人たちをも神が愛しておられるのであり、まだ神の慈愛と寛容に気づいていないだけなのである。私たちが思い上がって他者を裁くならば、神の慈愛を否定する罪を犯す。「神の憐れみがあなたを悔い改めに導く」(4節)とあるが、私たちを悔い改めに導くのは、主イエス・キリストにおいて示された神の憐れみである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。