疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイによる福音書11章28節
主イエスは貧しい者、病気で苦しむ者、子どもを失って悲しむ者、社会から見捨てられた者を訪ね歩いて、今日の聖句を語った。
重荷を負う者を招く主イエスは、「わたしの軛を負いなさい」と言う。主イエスの軛を負うとは、主と共に荷を背負う二人三脚の人生である。主は「重荷を共にしよう」と言うのである。主が私の重荷を一緒に負ってくださるので、私の重荷は軽くなる。そして、私も主の重荷を負わせていただく。それによって、私は一人ではない、主イエスと共に生きる人生、主のために生きる人生を歩むのである。主イエスと軛を共にすることは、それが苦しみや悲しみの伴うものであっても、神の恵みと守りを経験する感謝の人生である。
重荷を自分だけで負わず、主イエスのもとに来て、重荷をおろす者は幸いである。重荷を降ろして主の御許で憩うならば、魂の休みとともに、新たな力が与えられる。
主イエスは一人ひとりの重荷を知っている方、御許に来る者の重荷を負ってくださる主、魂に休みを与えてくださる神である。「神よ、あなたは私たちの魂をあなたに向けて造られたので、私たちは御許に帰るまで魂の休みを得ることはできません」(アウグスティヌス)。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。