2026年8月30日(日) 礼拝宣教要旨
聖書個所:サムエル記下 9章3-8節
恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。
サムエル記下 9章3節
ダビデとヨナタンが主の前で堅い約束をしてから数十年後、ダビデはイスラエル全土の王となります。ダビデはサウル王に仕えていたツィバに尋ね、ヨナタンの子メフィボシェトを呼び寄せます。そのときの言葉が冒頭の聖句です。「忠実を尽くそう」の「忠実」はヘブライ語では「ヘセド」。「忠実」の他に「慈しみ」、「憐れみ」、「恵み」とも訳されます。神の性質を表わす言葉でもあります。
今日の箇所から示される一つは隣人になることへの招きです。マキルは両足に大けがをした幼いメフィボシェトを保護し大切に育てました。ダビデが後に自分の息子のアブサロムから追われる状況になった時にもダビデを助けた人の中にマキルがいました。自分の利害に関係なく、目の前の困っている人を助けた彼は、イエス様のいう「隣人になった」人です。
二つ目には謙遜と素直さです。メフィボシェトは自分にはダビデが喜ぶようなことを何一つ差し出すことができない。前王の血筋の生き残りである自分は、命を奪われてもしかたのない立場だと自覚していました。ダビデの申し出を、メフィボシェトは疑うことなく固辞することもせず素直に受け取りました。私たちもまた、イエス様のゆえに、神の子として迎えられています。自分に価値があるからでも、徳を積んだからでもなく、とても神の子どもとして受け入れていただけるような者ではないけれども、ただイエス・キリストの十字架の贖いのゆえに、赦され神の子とされています。
三つめに教えられることは住まいを選ぶ自由についてです。メフィボシェトがダビデに服従してしぶしぶ一緒に住んだというよりも、ダビデの王宮に住むことの安心を選択したのだと思います。メフィボシェトがダビデと住まうことを選んだように、私たちも父なる神がいつも一緒にいる生活を選び取りました。その場所が一番安心していられる場所だと確信したからです。イエス様がなさった「放蕩息子の譬え」にある兄と弟のように、義務と強制と束縛を覚えて住まうのではなく、私たちにいつもヘセドつまり、慈しみと憐れみと恵みで接してくださる神との生活を喜び住まいたいです。
8月のテーマは「和解と平和」でした。平和は、どこからか与えられるものではありません。平和とは程遠い現実にいる私たちですが、その解決はわたしたちにヘセド、慈しみと憐れみと恵みを示してくださる主を見上げ倣っていくしかないのだと思います。それが隣人になることであり、謙遜になることであり、そして安心の中で喜んで生きることだと思います。「平和を実現する人々は幸いである」とイエス様は言われました。私たちにできること、示されることを少しずつでもなしていけたらと思います。