2026年8月9日(日) 礼拝宣教要旨
聖書箇所:サムエル記上20章25節∼26節、33節~34節、41節~42節
父がダビデをののしったので、ダビデのために心を痛め、新月の二日目は食事を取らなかった。
サムエル記上 20章34節
私たちは、今日の聖書箇所のダビデとヨナタンの姿を、多くの人が見習うべき友情として語ることもあります。しかしダビデとヨナタンのこの美しい友情のお話を通して、私たちキリスト者がどのようにこの世を生きるべきかが分かります。
キリスト者は神様によって結ばれた神の子どもです。そのため、御言葉を読み、聞き、学びながら神様の教えに従おうと努めています。このような共同体が教会なのです。教会の一員として信仰生活を送る中で、同じ御言葉を通してどれだけ深く受け入れるかは、人それぞれ違うこともあります。しかし、その違いを自分の判断で正しいかどうかと区別するのではなく、御言葉を通してお互いに理解し、尊重して生きることこそ、キリスト者が目指す生き方なのです。
今日の聖書箇所に描かれているのは、命を懸けたダビデのためのヨナタンの献身です。その献身というのは、私たちが送っている日々の中で自分ができること、小さな配慮や奉仕を、周りの人々に向けていくだけでよいのです。このようなことが、私と、ここにいらっしゃる皆さんが今日の聖書箇所で覚えるべき、キリスト者の生き方です。
神様と結ばれている私たちは、日々の中で続けているさまざまな形の礼拝を通して回復できます。こうして、人それぞれの生活が癒された時こそ、私たちは回りの人々の悩みや喜びに共感し、分かち合うことができます。私たちがそれぞれの生活の場で出会った神様の恵みを分かち合い、共感し、互いに仕え合うことこそ、キリスト者の姿なのです。私たちの生活を振り返ってみた時、自分は本当に神様に出会ってキリスト者として変えられたかを改めて考えながら、皆さまが信仰生活の中で立ち上がることができることを願います。