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主日礼拝宣教要旨

「キリストはわたしたちの平和」 朴 思郁 牧師

2026年8月2日(日)礼拝宣教要旨 
聖書箇所:エフェソの信徒への手紙 2章14~18節 

「キリストはわたしたちの平和であります」

エフェソの信徒への手紙 2章14節

 ゴリアトの武器は、巨体でも最新の兵器でもなく、「戦う前から相手を震撼させ、志気を削ぐ」大言壮語にありました。エラの谷を挟んで四十日、勇敢に戦ってきたサウル王さえ身動きが取れません。恐れが人を支配し、恐れが壁を高くしていく。「敵意という隔ての壁」は、石やコンクリートでできているとはかぎりません。少年ダビデの真の武器も、石投げ紐ではありませんでした。「万軍の主の名によって」立つこと(サムエル記上17章45節)、それだけでした。
 ヘブライ語のツェバオートは、創世記二章一節「天地万物は完成された」の「万物」と同じ言葉です。しかも侵略戦争が語られるヨシュア記やモーセ五書には一度も出ません。初出はサムエル記上一章、子を授からない女性ハンナの祈りの場面です。軍神の名ではなく、すべての命を造り、最も小さな嘆きに耳を傾ける創造主の名でした。だから今週の聖書教育は、「万軍の主」よりも「万物の主」と。「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされない」(47節)。
 けれどもダビデもまた、敵に侮蔑的な言葉を発しています(17章36節)。敵と味方を線引きし、敵を軽んじ、暴力を正当化する価値観から、この少年も自由ではありません。ゴリアトが倒れたあと、谷を隔てていた線は消えません。向きを変えて、勝った側と負けた側のあいだに引き直されただけでした。恐れの中で、私たちは敵を作ることで安心しようとします。そうして倒された壁は、必ず別の場所に建て直されるのです。
 エフェソによる信徒への手紙は、そこを越えます。「十字架によって敵意を滅ぼされました」(2章16節)。滅ぼされたのは敵ではなく、敵意です。キリストは応酬の連鎖をご自分の体で受け止め、断ち切られました。十字架は、敵を滅ぼす場所ではなく、敵意が死ぬ場所。「規則と戒律ずくめの律法」の廃棄も、人を分け序列をつけてきた仕切りそのものの除去でした。
 平和の福音は「遠く離れている」者にも「近くにいる」者にも告げられます。遠い者が近い者の側へ移るのではありません。「両方の者」のまま、一つの霊に結ばれて御父に近づくのです。八月十五日、日本では終戦の日、韓国では光復の日。同じ一日に二つの記憶があります。違いを消さず、しかし敵意を消して、同じ御父の前に立つ。今日の主の晩餐でも、主は裏切る者にも否む者にも、同じパンを渡されました。今日から始まる平和月間を、「共に仕え、共に育つ」群れとして歩んでまいりましょう。

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