2026年6月7日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:コリントの信徒への手紙一 12章12-14、24b-27節
「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」
コリントの信徒への手紙一 12章27節
本日は、特別な喜びの日となりました。先ほど、朴志煥(パク・ジファン)協力牧師の就任式を執り行いました。この日を共に喜ぶために、韓国から朴先生のご両親が、またご友人の宣教師ご夫妻も出席してくださっています。私たちの体が、指先のとげ一つの痛みを全体で引き受けるように——パウロはこの「体」を手がかりに教会を語ります。今朝は、三つのことを心に留めましょう。
まず、神さまは、多様な私たちを、そのままにひとつの体へと結び合わせてくださいます。「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています」(14節)。違いは乗り越えるべき問題ではなく、神さまの御心であり、「ひとつになる」ことは「同じになる」ことではありません。その「ひとつ」は、ユダヤ人とギリシア人、奴隷と自由人という隔ての壁をも越えます(13節)。国も言葉も異なる朴志煥先生が協力牧師として迎えられ、韓国の方々と私たちが一つの礼拝に集う——それ自体が、福音が国境を越えて私たちを結び合わせる、神さまの御業の生きた証しです。
次に、神さまは、見劣りのする部分、弱く見える部分を、いっそう引き立たせてくださいます(24b-25節)。世は強い者を上に置きますが、神さまは弱く見える部分を大切にされます。今週の聖書教育が扱うテモテへの手紙二で、パウロは臆病になりかけたテモテに、「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださった」(1章7節)と語り、「与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるように」(1章6節)と励ましました。あなたの賜物は、決して小さくありません。
最後に、私たちは「共に苦しみ、共に喜ぶ」者として召されています。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ」(26節)。これこそ、今年の歩み「共に仕え、共に育つ」の中心です。今日、私たちが朴先生の就任を我がことのように喜んでいること自体が、私たちがすでにひとつの体とされているしるしなのです。
テモテの信仰の背後に、祖母ロイスと母エウニケの信仰があったように、私たちの背後にも、数えきれない祈りがあります。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」(27節)。賜物を再び燃え立たせ、おくびょうの霊ではなく力と愛と思慮分別の霊をいただいた者として、互いに配慮し合い、共に仕え、共に育つ群れとして、今日からまた、ご一緒に主の教会を建て上げてまいりましょう。