2025年5月18日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙4章 19-20節
「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」
ガラテヤの信徒への手紙4章19節
パウロがガラテヤの人々に送った手紙には、この共同体が福音から離れていることに対する深い嘆きと愛が表れています。パウロはガラテヤの教会との出会いを振り返り、自身の体の弱さがきっかけでこの共同体に福音を伝える機会が与えられたことを語ります。これは私たちの弱さを通しても神様が働かれることを示しています。
パウロはガラテヤの信徒たちを「わたしの子供たち」と呼び、霊的な親としての深い愛情を示しています。この人々が恵みの福音から離れ、律法主義に戻りつつあることに心を痛め、「途方に暮れている」と正直に告白しています。この言葉には、愛する方々が真理から外れていく姿に心を痛める親の思いが込められています。
「キリストがあなたがたの内に形づくられる」という表現は、私たちの内面がキリストの性質や思いで満たされ、考え方や行動がキリストに似たものになっていく継続的な成長過程を意味します。これは一朝一夕に起こるものではなく、私たちの一生をかけた旅です。この過程は、胎児が母親の胎内で少しずつ人間の形を取っていくように、私たちの内面が徐々にキリストの姿に変えられていくことを表しています。
パウロは「できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい」と願っていましたが、直接会うことができない状況でも、熱心な手紙を通して思いを伝えようとしました。これは、たとえ具体的に何かができなくても、人を愛する思いは決して無駄ではないことを教えています。私たちの小さな行動や言葉、そして祈りが、神様の手によって、思いもよらない大きな実を結ぶことがあるのです。
パウロの愛と忍耐は、神様ご自身の愛の反映です。神様は私たちが間違った方向に進んでいても、私たちのことを心配し、立ち返るのを忍耐強く待っておられます。時に厳しさを伴いながらも、私たちの自由意志を尊重されるのです。この愛に倣うとき、私たち自身もキリストの姿に近づいていきます。
キリストの姿へと変えられていくこと、これは私たち一人ひとりへの神様の招きです。それは律法の重荷や自力による努力ではなく、神様の恵みによって実現します。キリストの霊が私たちの内に宿り、日々私たちを変えていきます。
私たちもパウロのように、互いのために祈り、互いが成長するのを助け合うことができるでしょうか。また、私たち自身は、キリストが内に形づくられることを日々願っているでしょうか。こうした問いを心に留めながら、互いにキリストの姿に近づく旅を共に歩んでいきましょう。