ようこそ西川口キリスト教会のホームページへ

地域と共に歩む桜並木の教会

教会員ページ
主日礼拝宣教要旨

「神のぶどう園で共に働く」松見享子師(恵泉バプテスト教会 協力牧師)

2025年1月19日(日)
主日礼拝 宣教要旨
マタイによる福音書 20章1-16節

「天の国は次のようにたとえられる。
ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、
夜明けに出かけて行った。」

マタイによる福音書20章1節

 ぶどう園の労働者たちは主人と出会った時間も、ぶどう園で働いた時間も、その働きぶりもそれぞれ違います。主人はそんな違いを持つ彼らをわざわざ同じ場所に招いて一緒に働く者とさせました。そのままなら、その日たまたま同じ場所で働いた、ただそれだけのこと。お互いの違いもさして問題にもならずに終わりだったでしょう。ところが働きの少なかった最後の人に真っ先に賃金を払うという、この世の常識からは大きくはずれた主人のふるまいによって、彼らは否応なく同じ場所で一緒に働いた相手と改めて出会わされることになりました。
 私たちはこのたとえ話を読むとき、つい、変わる必要があるのは寛大な心を持てない「1日中働いた人たちの方」だと思いがちです。しかし、そうではありません。1日中働いた人たちも5時から雇われた人たちも、同じ場所で同じ主人のために一緒に働くことによって、初めて自分一人では知ることのできない主人の思いを知ることでは同じです。どんなにお互いが違っていようと、いいえ、お互いが違えば違うほど、彼らは相手の存在を通して、自分だけでは決してわからない主人の姿に出会えます。もっと深く主人の心を理解して、もっと深く主人と出会うために、お互いにお互いが必要なのです。どちらか一方だけが変わるのではなく、主人を真ん中にしたこの出会いによってお互いが変えられるのです。それこそが神さまが、神さまのぶどう園で働く人たちに求めておられる生き方です。そして、そのような生き方、そのような関係性が実現するそのとき、「天の国」は、今ここに彼らと共にあるのです。
 あのぶどう園の働きに招かれた人たちのように、私たちもまた、9時、12時、3時、5時、それぞれに違いを持つ一人一人です。だからこそ、人間的な思いでは必ずしもひとつにはなれないこともあるでしょう。しかし、たとえそうと意識はできなくとも、皆さんと出会おうと朝一番に出かけていき、この場へと招いてくださった方がいる。その招きに応えて、皆さんは今ここにいます。それは、こんなに様々に違うお互いの存在を通してこそ、自分一人では決して知ることのできない、遥かに深く、広く、大きい神さまの愛に出会うためなのです。

関連記事

PAGE TOP