2024年11月3日(日)
主日礼拝宣教要旨
コリントの信徒への手紙二 9章 6-9節
つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
コリントの信徒への手紙二 9章6、7節
人生は、畑に種を蒔き、その実りを収穫するようなものです。日々の選択や行動が、私たちの未来に向けた「種まき」となり、時間をかけて成長し、やがて収穫の時を迎えます。善意や愛を蒔けば豊かな喜びを得られる一方、無関心や自己中心的な行動を蒔けば、孤独を感じるかもしれません。
聖書でも、種まきと収穫は信仰生活の象徴として語られています。イエスの「種まきのたとえ」(マルコによる福音書4章3-9節)は、神の言葉が心に根付き成長する様子を示し、ガラテヤの信徒への手紙6章7-8節では、パウロが「肉に蒔く者は腐敗を、霊に蒔く者は永遠の命を刈り取る」と教えています。信仰をもって生きることで、豊かな実りを刈り取ることができるのです。
パウロはコリントの信徒への手紙二 9章6-9節で、「豊かに収穫するために、まず豊かに種を蒔く」ことの重要性を説いています。当時、エルサレム教会は迫害や飢饉で困難な状況にあり、パウロは異邦人教会に対し、献金を通じて支援を呼びかけました。この献金は義務ではなく、信仰と愛の表れとしての行動です。「蒔けば収穫がある」という農作業の比喩を通して、パウロは信仰に基づく惜しみない行動が豊かな祝福をもたらすことを強調しています。私たちも、日々の小さな行いや助けが、豊かな実りとして人生に返ってくることを経験できます。
また、パウロは「喜んで与える人を神は愛してくださる」(9章7節)と語り、ただ与えるだけでなく、喜びと感謝をもって与えることの大切さを説いています。コリント教会も当初は経済的な不安を抱えていましたが、パウロは心から捧げることで神の恵みがあふれると伝えました。現代の私たちも、感謝を込めた小さな贈り物や教会でのささやかな支援を通じて「喜んで与える心」を実践し、神の愛と祝福を共有できればと願います。
加えてパウロは「神はあらゆる恵みを満ちあふれさせ、喜んで与える人を支えてくださる」(9章8節参照)と語り、捧げることで神がさらに豊かな恵みを注いでくださると強調しています。旧約聖書の詩編112編も引用し、愛と奉仕の行いが永遠の価値を持つことを示しています。私たちが他者に愛や助けを提供するとき、それは神の国において祝福の流れとなり、神の恵みによって支えられるのです。
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