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主日礼拝宣教要旨

「光あるうちに」戸井田 敦子

2023年8月13日(日) 平和主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:ヨハネによる福音書12章35-36節

 

「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」

ヨハネによる福音書12章36節


 ファリサイ派の人々は、エルサレムで群衆が、主イエスを追い求めついて行く様を見て、自分たちが持っている力をすべて奪われることを悟りました。しかし、主イエスを十字架につけたのは、ファリサイ派の人々だけではありませんでした。ユダは主を売り渡し、ペテロは主を知らないと言いました。そのペテロに女が、お前も一緒にいただろう、と言うのです。イエスが連行され尋問されたとき、十字架につけろ、十字架につけろ、と群衆は叫びます。現代の、戦争になだれ込むときの人々の姿といったいどこがちがうというのでしょうか。抹殺すべき敵と方向づけられ、満場一致でイエスを十字架につける人間の暗闇が、私たちが人間である限り、私たちの中にも巣食っているのではないかと思うのです。
 それでは、私たちには「光」はないのでしょうか。
 2011年9月11日に起こったアメリカの同時多発テロでは、その直後の合衆国議会で武力行使決議が採択され、アメリカは「対テロ戦争」に突入しましたが、たった一人、バーバラ・リー議員は反対しました。彼女は武力行使を「歴史的な過ち」と言い、通っていた教会の聖職者の言葉を引用しました。「私たちが行動するときには私たち自身が非難する『悪』にならないようにしよう」
 主イエスは、私たちの罪を贖うために十字架にかかり、そして今もかかり続けてくださって、罪を許し続けてくださっています。主イエスは共に生きてくださっている、だから私たちの間にまだ「光」はきっとあるのです。社会が力の行使に方向づけられる前に、私たちは自分の心の中にある「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌と」しなければなりません。武器を取る前に、憎悪からは憎悪しか生まれないことを伝えていかなければなりません。人間の価値観ではなく、主の望まれる平和を問い続け、求め続けていく必要があると思うのです。暗闇に追いつかれる前に、主イエスという光を掲げて目を覚ましていましょう、その光の中を歩いていきたいと願います。

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