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朗読 『一日の発見 365日の黙想』8月27日

8月27日

つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。 

ルカによる福音書 171

 

 主イエスは「わたしにつまずかない人は幸いである」(マタイ11:6)と言った。信仰はつまずきの石を飛び越えて、主のふところに飛び込むことである。信仰生活を始めたのに、他の兄弟姉妹に失望して教会から離れる人もいる。信仰の道にはつまずきの石がたくさんある。それらを飛び越えて、ただ主に目を向けて歩むのが信仰生活である。 
 主イエスは今日の聖句で、つまずきは避けられないが、人をつまずかせる者は神に裁かれるという。信仰のつまずきは、その人の永遠の運命にかかわるからである。しかし、裁きからの救いが十字架のもとに用意されている。人をつまずかせた罪に気づいたら、悔い改めて十字架のもとに帰らなければならない。十字架のもとには罪のゆるしと罪から立ち直らせてくださる神の力がある。
 続けて、主イエスは弟子たちに、兄弟の罪を忠告し、兄弟が悔い改めたら、その都度、無制限にゆるすようにと命じる。そこで、弟子たちは主に「わたしどもの信仰を増してください」(5節)と願った。彼らは主から命じられたことを行うには、自分たちの信仰が弱いと考えた。すると主イエスは、からし種一粒の信仰があれば、不可能が可能になると言った。信仰は強い、弱いではない。主イエスは信仰の強弱に目を向けている弟子たちの目を、神に向けさせる。信仰は神を仰ぎ、神がなさることに委ねることである。弟子たちはこの信仰をもって、主から命じられた働きをすればよい。そうすれば、自分のしたことを誇ることも、また気落ちすることもない。私たちは私たちを弟子として召した主イエスに取るに足りないしもべ」(10節)であることを告白しつつ、主から命じられた奉仕をする。
 


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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