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朗読 『一日の発見 365日の黙想』8月12日

8月12日

あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたをこばむ者は、わたしを拒むのである。 

ルカによる福音書 10章16節

 

 主イエスはご自分がつかわす弟子たちに、語るべき福音の言葉を託した。主イエスは弟子たちに、どこかの家に入ったら、「この家に平和があるように」(5節)と語れと言う。これは「シャローム」という、昔も今も使われるユダヤ人の挨拶の言葉である。主イエスは弟子たちに、出会う人々に神の平和を心から願う言葉として「シャローム」と語れと言った。弟子たちが主に遣わされて、べ伝えるのは「神の平和」の福音である。
 主イエスは弟子たちに、どこかの町に入ったら、「神の国はあなたがたに近づいた」(9節)と語れと言う。これが福音の核心である。「神の国」の福音が語られる時、主ご自身が近づかれる。「神の国」の福音を受け入れることは、主イエスを迎えることである。その時、主イエスは私たちの神となり、私たちの人生に伴ってくださる。ここに揺るぎない神の平和がある。私たちは主に従う弟子とされ、神の栄光を現わす業に仕える。私たちは日ごと新たに、主の言葉を聞き、「御心みこころをなさせたまえ」と祈って、家や町に出かけて行く。
 弟子たちの語る福音がこばまれるとき、自分が拒まれたのだと主イエスが語る今日の聖句は、拒む者に対する裁きが込められている。それは決しておどしではなく、神の恵みの大きさを物語る。神は、神の栄光を現わさず、創造の目的に沿う生き方をしていない人間を裁くのではなく、救うために、御子みこの十字架の死をもってその罪をあがない、罪を赦して御許みもとに招かれる。この福音の恵みの大きさのゆえに、その救いを拒む者はすでに神に裁かれている。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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