この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。
ルカによる福音書 7章47節
ファリサイ派の人シモンは主イエスを食事に招いた。ファリサイ派は律法を熱心に守り、神の前に正しい人間であることを誇り、律法を守らない罪人を軽蔑した。シモンは罪人と交わっている主イエスが預言者かどうか試そうと思い、家に招いた。シモンの態度は、客人に対する礼儀に欠けていた。
「罪深い女」(37節)と見られていた人がシモンの家に入って来た。そして、主イエスに近づき、自分の涙でその足をぬぐい、接吻し、持ってきた香油を注いだ。シモンは「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ」(39節)と思った。主イエスはシモンの思いを見抜いて、借金を帳消しにされた二人の人の話をした。そして、帳消しにされた額の多い人が金貸しに多く感謝するというシモンの答えを引き出すと、今日の聖句を語った。主イエスにした彼女の行為は、主によって多くの罪を赦された感謝と愛の行為であった。罪の中に死んでいた彼女は、主イエスに一切の罪を赦されて新しく生まれ変わった。多くの罪を赦された彼女は、多く愛した。主イエスはその愛を喜ばれる。
主イエスは罪を赦すためにこの世に来られた。主イエスを信じて、無条件に罪を赦してくださる神の恵みにあずかった者は、神への愛を呼び起こされる。シモンは自分を正しい人間であると思っていた。しかし、主イエスはシモンに、神の律法が求める愛と憐れみに欠けた彼の罪を指摘する。それは、シモンが自分の罪を知って悔い改め、主の赦しの恵みにあずかって、新しく生まれ変わるのを願われたからである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。