神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。
コリントの信徒への手紙二 9章8節
献金は、キリストの恵みによって贖われ神の民とされた者が、神の栄光のために生きようと自分自身を献げる献身の表明である。パウロは献金を神に仕える「奉仕」(1節)と言う。神は献金を祝福して御業のために用いられる。それだけではなく、神は献げる者をあらゆる恵みに満ち溢れさせてくださる。パウロは神に献げる献金を神の畑に蒔くことであると言い、「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」(6節)と語る。神は献金する者が不足することのないように、すべての必要を満たしてくださる方である。それゆえ、主なる神は「わたしを試してみよ……必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう」(マラキ3:20)と言われる。献金は私たちの信仰を測るバロメーターである。
しかし、献金は自分の蓄えが増えることを願って献げるお賽銭ではない。今日の聖句が語るように、神は私たちが御心を行う善い業に満ち溢れさせてくださるのである。なによりも、蒔く者が刈り取る神の報酬は「慈しみが結ぶ実」(10節)である。原文は神との関係を示す「義の実」である。「喜んで与える人を神は愛して下さる」(7節)とあるように、献金は神に結ばれるという実をもたらすのである。それゆえ、献金は「不承不承ではなく、強制されてでもなく」(7節)、他人が献げる額を見比べてでもなく、喜んで、自分が決めた額を神に献げるのである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。