古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。
コリントの信徒への手紙一 5章7節
地中海の貿易港であったコリントは、経済は栄えたが、人々のモラルが低く、当時、みだらな人間を「コリント人のようだ」と言うことわざがあるほどであった。コリント教会はそうした社会の風潮に麻痺してか、不品行を犯す信徒がいても、これを放任していた。このことを知ったパウロは、不品行な者が罪を悔い改めないならば、彼の魂が終わりの日に救われるために、除名せよと勧告し、今日の聖句を語った。
キリストは私たちの罪を贖う「過越の小羊」として屠られた。私たちのために命を犠牲にされたキリストの前で、犯した罪を心から悔い改めるなら、神は古いパン種を取り除き、パン種の入っていない者としてくださる。この大きな恵みにあずかった者は、神の恵みに応えて、神に喜ばれる生活を心がけるのである。心がけても、さまざまな罪を犯してしまうのが私たちである。それゆえ、私たちは、日々、神の許に立ち返って、パン種を取り除いていただかなければならない。そうしないと、古いパン種は残り、ふくれあがって、私たちを滅ぼすであろう。
ルターは、「キリスト者の生活は、日々、悔い改めの生活である」と言った。私たちは、日々、神の前に罪を悔い改めて、古いパン種を取り除いていただき、この世において罪と戦いながら、約束の地に向かって信仰の旅を続ける。古いパン種を持ったままで、天国を目指すことはできない。キリストの贖いの恵みにあずかって、古いパン種を取り除かれた者が、罪とよく戦うことができる。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。