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朗読 『一日の発見 365日の黙想』5月25日

5月25日

家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。

マルコによる福音書12章10節、詩編118編22節


 主イエスは神と人間の関係をたとえで語った。主人は丹精を込めてぶどう園を造り、これを農夫たちに委ねた。神は創造した世界の管理を人間に託したのである。時が来ると、主人は収穫を受け取るために、僕を遣わした。人間のなすべきことは、神から託された世界を活用し、その収穫を神に捧げて「地と、そこに満ちるものは主のものである」と告白し、神に栄光を帰することである。「だが、農夫たちは僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した」。人間は自分の思い通りに生きるために、自分が世界の主人であると主張したのである。その時、神は邪魔となった。人間は神を否定することで、あらゆる束縛から解放され、幸福になると考えた。しかし、これは幻想ではないか。人間は神を否定して、本当に解放され、世界は平和になったであろうか。
 農夫たちの反抗にもかかわらず、主人は寛容である。主人は僕たちを送り続け、彼らが悔い改めるのを忍耐強く待った。そして最後に、主人は息子を遣わした。ところが、「農夫たちは息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出した。さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか」。人間は神に反抗しているが、神の寛容によって、今なお、この世界に生きることを許されている。しかし、悔い改めないなら、神が総決算される終わりの日に、裁きは避けられない。主イエスはたとえで、殺された息子、すなわちご自分の死を語って、冒頭の旧約聖書詩編の言葉を示した。神は十字架にかけられて「捨てられた石」である御子みこイエスを死から甦らせ、「隅の親石」、救い主としたのである。悔い改めて、主イエスを信じる者はその罪をゆるされ、「神の国」に生きる者、神に仕える僕となる。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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