だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
マタイによる福音書28章19~20節
復活の主イエスは十一人の弟子たちを呼び寄せ、世界伝道の働きを命じた。「すべての民」を視野においた今日の聖句は、小人数の、しかも主を裏切った弟子たちが考え出したことではない。復活の主イエスでなければ語れない言葉であり、計画である。それにしても、この壮大な世界伝道の働きを、この弟子たちが担えるのだろうか。なぜ復活の主は人々の救いを左右する福音を、無力で小さな弟子たちに託されるのか。これは私たち自身の問いである。「主よ、どうして私たちのような無力な者に伝道を託されるのですか」。
この問いに対して、主イエスの「だから」(19節)という言葉が重要である。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って……」と言う。「全責任は私が持っている、だから、行け」。「あなたが人を救いに導くのではない。あなたの伝道を通して人々に働きかけるのは、私である。だから、あなたは時が良くても悪くても福音を伝えよ。私があなたがたに伝道を託すのは、それによって、あなたがたが私との交わりを深め、私をもっと良く知るようになるためである」と言われる。主イエスが全責任を取ってくださるのであるから、私たちは結果に一喜一憂せず、託された福音を伝道し、その働きを「主よ、用いてください」と言えばよい。伝道の働きを担う者は、人を救い、その人生を変える主の業を見る。なによりも、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(20節)、という祝福にあずかる。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。