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朗読 『一日の発見 365日の黙想』3月10日

3月10日

世界中どこでも、この福音がべ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。

マタイによる福音書26章13節


 一人の女が食卓の席にいた主イエスに近づき、石膏せっこうの壺に入った高価な香油を全部、主の頭に注いだ。主の頭からしたたる香油はどんどん床に吸い込まれていく。居合わせた弟子たちはこれを見て憤慨し、「なぜ、こんな無駄使いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」と言った。
ところが、主イエスは憤慨する弟子たちに、「この人はわたしに良いことをしてくれたのだ」(10節)と言った。高価な香油を全部注いで無駄にした彼女の行為を、主は「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた」(12節)と言うのである。損得勘定で言えば、無駄で愚かとしか見えない彼女の行為は、主イエスの十字架の死につながる行為であった。すすんで十字架の道を歩み、命を犠牲にする主イエスの行為は、一見、無駄で愚かである。しかし、その十字架の愚かさは、神の無償の愛であった。主イエスは弟子たちに、彼女の無駄で愚かと見える行為こそ、神の無償の愛を証しするものであると教えたのである。
神に捧げる礼拝、奉仕、献金、また人々を助ける行為は、彼女がした行為のように、損得勘定でいえば、無駄で愚かである。しかし、そのような行為によって、十字架の福音は全世界に伝えられる。今日の聖句のように、福音がべ伝えられる所において、すなわち、主イエスの十字架における神の無償の愛が語られ、受け入れられる所において、その愛に触発されて、神と人とに仕える献身者が起こされ、彼女のしたことが記念として語られる。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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