わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
マタイによる福音書6章12節
「わたしたち」という言葉で祈る「主の祈り」は、教会の祈りである。私たちは「主の祈り」を祈る度に、自分は本当に人を赦しているかと問われる。赦せない人がいる時、この聖句を祈るのは辛い。私たちは赦されることは喜ぶが、人から中傷されたり、実害を受けたりすると、受けた負い目を赦すことができないばかりか、復讐しようとさえする。私たちの世界に憎しみや争いが絶えない理由である。
主イエスは、中傷、軽蔑、憎悪など、人間のありとあらゆる罪が吹き出ている十字架の苦しみに耐えながら、「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた。十字架の上で、罪人の赦しを執り成して死んだ御子イエスのゆえに、神は私たちの罪を無条件に赦してくださる。赦しこそ、主イエス・キリストの父なる神の御心である。主イエスは、「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しにならない」(14~15・30節)と言う。人を赦すことなしに、自分の罪の赦しは全うされない。この厳しい主の言葉は、神の赦しがどんなに大きな恵みであるかを、私たちに思い知らせる。
教会は、日曜日に、この世から神のもとに立ち帰る、主イエスの十字架を仰ぐ者たちの礼拝共同体である。私たちは共に神を礼拝し、共に十字架を通して語る神の「赦しの言葉」を聞き、共に「主の祈り」を祈り、神の御心を行わせる聖霊を受けて、この世へ出かけて行く。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。