みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
マタイによる福音書5章28節
主イエスは「姦淫してはならない」という律法を取り上げて、今日の聖句を語った。「みだらな思いを抱く」とは、「欲しがる」、「むさぼる」とも訳される言葉である。みだらな想像をするというより、他人の妻を自分のものにしようとすることである。たとえ実行しなくても、そのように意思する者は、姦淫という罪を犯している。主イエスの言葉が厳しいのは、姦淫が妻や夫に対する裏切りであると同時に、神の創造の秩序を破壊するからである。人間を人格として見るのでなく、自分の満足を充たす対象物として見る性関係の結果は、人を傷つけ、自分も決して満たされることはない。今日の関係性の崩壊は、このことと決して無関係ではない。
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(19:6)と主イエスは言う。私たちは自己中心的な人間であり、相手に要求する者であり、夫婦の関係も危機に直面する。私たちが危機を乗り越えるのは、「神が結び合わせたもの」という神の秘義を信じ、「人は離してはならない」という主イエスの言葉を受け止める時である。
私たちは神の赦しを受けて、互いに赦し合う者でありたい。また、私たちの破れを繕われる神を共に仰ぐ者でありたい。このことは、結婚していても、結婚していなくても、私たちが人との出会いを喜び、共に生きるための基本である。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。