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朗読 『一日の発見 365日の黙想』1月5日

1月5日

人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。

マタイによる福音書4章4節(申命記8章3節)


 主イエスは公生涯に入る前に、荒れ野に行き、悪魔の誘惑にった。悪魔は人間に働きかけて、神を疑わせ、神不信へと誘惑する。「誘惑」とは「試練」とも訳される言葉である。人間は悪魔の誘惑によって、本当に神を信頼し、神に従っているのかを試される。この意味で、試練は危機の時であり、「分かれ道」である。試練によって、ある人は神への信仰が深められ、ある人は神の恵みから落ちる。神は私たちが試練の時に悪魔の誘惑に勝つ者となるように、主イエスを世に遣わされたのである。

 主イエスは荒れ野で四十日間、断食をして空腹を覚えた。人の子となられた主イエスは飢えた。飢えは人間の生存をおびやかす苦しみである。パンは人間が生きるために必要不可欠であり、パンを得るために、人間は額に汗して働かなければならない。それゆえに、パンさえあればすべてが解決すると思うのである。悪魔は主イエスに荒れ野の石ころを指して、「これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と誘惑した。人間は、パンの問題さえ解決すればすべてが解決するのだという誘惑である。これに対して、主は冒頭の申命記の言葉をもって悪魔の誘惑を退けた。人間は食べて生きればよい存在ではなく、神の言葉によって真に生きる存在であることを、聖書の言葉をもって答えたのである。
 主イエスの生涯は悪魔との戦いの連続であった。その度に、主イエスは神のみ心を示す聖書の言葉をもって悪魔と戦った。主イエスは私たちに、神の言葉こそ悪魔の誘惑に勝つ道であることを、身をもって示したのである。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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