そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
マタイによる福音書3章17節
主イエスはガリラヤのナザレから荒れ野に出て来て、預言者ヨハネからバプテスマを受けられた。水の中から上がられると、主イエスは神の霊を受け、天からの声を聞かれた。「天」とは天空ではなく、神がおられるところである。
この出来事は第三者が見聞きしたことではなく、主イエスの霊的な経験である。主イエスにおいて神の霊の決定的な働きが始まったのである。「愛する子」とは、「独り子」とも訳され、主イエスと父なる神との切り離せない関係を示す。御子イエスは父の御心を行う方として私たちのところに来られた。父と御子とは深く結ばれている。
主イエスは罪を悔い改めた人々と共に、ヨハネからバプテスマを受けられた。こうして、主イエスは私たちと同じ立場に身を置かれたのである。それは、主が私たちの罪を引き受けて、罪の贖いとなり、神と私たちとの間に新しい関係を創造してくださるためである。
神の御子の座を捨てて、私たちと同じところまで降り、その死によって私たちの罪の贖いを果たし、神によって死から復活させられた主イエスを信じて、バプテスマを受ける者は救われる。イエス・キリストの贖いの恵みにより、罪を赦されて、神との新しい関係に入れられる。バプテスマを受けることによって、私たちは主と結ばれるのである。主と同じように、「あなたはわたしの愛する子」という天からの声を聞く神の子どもとされる。神を父と呼び、神への信頼と服従に生きる者となる。主の苦しみにあずかるとともに、主の復活の命にあずかる希望に生きる。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。