11月28日
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
ヨハネによる福音書12章24節
人間は土から出て土に帰る肉体の命を持つと同時に、神の息によって生きる霊的な命を持つ者として創造された(創世記2:7)。人間は肉体の命を保つために「額に汗して」働かなければならない。そのところで人間は自己本位となり、不正、争い、殺人などさまざまな事件を引き起こす。衣食住が豊かになっても、人間の欲望は止まることがなく、闇が社会を覆っている。
主イエスは闇が覆う世に、世の光として来た。主イエスは私たちが生きることだけに終始して、神を見失い、神の息によって生きるべき霊的な命が死んでいる事実を明るみに出した。同時に、私たちを罪と死から救い、私たちの霊的な命を回復するために、ご自分の命を捨てなければならなかった。
ご自分の死が近づいた時、主イエスは「わたしが栄光を受ける時が来た」と言って、今日の聖句を語った。すなわち、一粒の麦が地に落ちて死ぬことによって新しい芽を出し、多くの実を結ぶように、罪の贖いのために命を捨てるご自分の死が、多くの霊的な命の実を結ぶと語られた。主イエスは死を前にして、ご自分が命を捨てることによって、多くの人が神に罪を赦されて、神との正しい関係を回復し、神の霊の息吹によって生きるようになることを望み見ておられた。「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った」(イザヤ53:11)。主イエスを信じ、主に贖われた者は、神の愛の息吹きを受けて生きるようになり、霊的な命の実を結ばせていただくのである。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。