9月1日
ルカによる福音書20章25節
主イエスを陥れる機会をねらっていた律法学者や祭司長たちは、彼を総督に引き渡すという策略をもって、回し者を遣わした。回し者たちは、主イエスに心にもないほめ言葉を言ってから、ローマ皇帝への納税の是非を問うた。主が納税を否定すれば、彼をローマ皇帝の反逆者として訴えることができる。反対に、主が納税を肯定すれば、ローマの支配を屈辱に思っている民衆は失望し、彼から離れるであろう。どちらに答えても主イエスを陥れることができる。これが律法学者や祭司長という指導者たちの策略であった。主イエスは皇帝に納めるデナリオン銀貨を持ってこさせ、「そこには、だれの肖像と銘があるか」(24節)と問うた。彼らが「皇帝のものです」と言うと、主は今日の聖句をもって答えた。
主イエスは「皇帝のものは皇帝に」と言って、皇帝への責任は果たせと言われる。しかし、「神のものは神に」という言葉によって、皇帝と神とを区別し、皇帝は神でないことを断言した。皇帝であれ国家であれ、この世の権威は神の支配の中にある。為政者、指導者が間違った支配をすれば、神は時を定めてその権威を取り上げる。主イエスは私たちが神の支配を信じて、この世における責任を果たすことを求める。さらに主イエスは、「神のものは神に返しなさい」と言った。この体に神の像を刻まれた人間は「神のもの」である。主は私たちが神の像を刻まれた自分の体を神にささげ、神の栄光を現わすべきことを命じた。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12:1)
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。