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主日礼拝宣教要旨

「まだ悟らないのか」 朴 思郁 牧師

2026年2月15日(日) 主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:マルコによる福音書8章14-21節

「イエスは、『まだ悟らないのか』と言われた。」

マルコによる福音書8章21節

 本日の聖書箇所は、イエス様と弟子たちが舟でガリラヤ湖を渡る場面です。弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、たったひとつしか持ち合わせていませんでした。イエス様が「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種に気をつけなさい」と戒められると、弟子たちはパンを忘れたことを責められたのだと勘違いし、互いに論じ合います。イエス様は「まだ悟らないのか」と問いかけられ、かつての五千人の供食、四千人の供食を想い起こさせます。この箇所は、目の前の不安に心を奪われ、神様の恵みを忘れてしまう私たちの姿を映し出しています。
 第一に、「目の前の欠乏に心を奪われる弟子たち」の姿を見てまいります。弟子たちはパンがひとつしかないことに心を奪われてしまいました。イエス様が「パン種に気をつけなさい」と語られたのは、神様のしるしが目の前にあるにもかかわらずそれを認めようとしないファリサイ派やヘロデの姿勢への警告でした。しかし弟子たちは、その深い意味を理解できず、パンを忘れたことで互いに論じ合っていたのです。私たちもまた、「お金が足りない」「時間がない」「人間関係がうまくいかない」と、目の前の欠乏に心を奪われ、イエス様の語りかけに耳を傾ける余裕を失ってしまうことがあるのではないでしょうか。
 第二に、「イエス様が本当に伝えたかったこと」を考えます。イエス様は「覚えていないのか」と弟子たちに問いかけ、五千人の供食と四千人の供食の出来事を想い起こさせます。これらは、人間には小さく足りないと思えるところにおいても、神様が働かれる時、必要は満たされ、あふれるほどの恵みを受けることができるという神の国の出来事でした。弟子たちはそれを自分の目で見て、自分の手で籠を集めたにもかかわらず、目の前の状況に心を奪われ、その恵みをすっかり忘れてしまっていたのです。
 第三に、「悟るとは何か——神様を信頼して生きること」について学びます。イエス様が求めておられる「悟り」とは、難解な教理を頭で理解することではありません。神様がこれまでしてくださったことを覚え、その同じ神様がこれからも共にいて必要を満たしてくださると信頼すること、それこそが「悟り」です。イエス様は無理解な弟子たちを見捨てることなく、繰り返し語りかけてくださいます。舟の中で不安に駆られている弟子たちのただ中に、いのちのパンであるイエス様ご自身がおられました。「まだ悟らないのか」という言葉は、突き放す言葉ではなく、「思い出してほしい、気づいてほしい」という切なる願いの言葉なのです。
 私たちも、かつて神様が助けてくださった経験を思い起こしてみましょう。「あの時、助けてもらった。支えてもらった。うれしかった」——そうした恵みの記憶は、目の前の不安に対する信仰の土台となります。イエス様は今も私たちと共にいてくださいます。不安の中にあっても神様の恵みを思い起こし、信頼して歩むようにとの招きに、応えてまいりたいと願います。

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