2025年6月29日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:ヨハネによる福音書 14章27節
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」
ヨハネによる福音書 14章27節
イエス様が与える「平和」とは、単なる外的状況の安定ではなく、神との親密な関係の中で得られる、霊的な安心と確信を指します。
ヨハネによる福音書16章33節や20章19-23節からは、イエス様が与える平和が、世の患難や困難の中にあっても揺るがず、恐れや不安を打ち消し、心の安らぎをもたらすものであることが分かります。
では、どうすればこの平和にあずかれるのでしょうか。ローマの信徒への手紙5章1-2節は、イエス・キリストへの信仰によって神との間に平和が与えられると語ります。また、フィリピの信徒への手紙4章6-7節は、「祈り」と「感謝」をもって神に打ち明けることで、人知を超える神の平和が私たちの心と考えを守ると教えています。
イエス様は「心を騒がせるな、おびえるな」と言われましたが、これは私たち自身の努力で不安を取り除けという意味ではありません。むしろ、信仰によって既に平和が与えられているのだから、恐れる必要はないという、揺るぎない確信への招きです。詩編23編4節が示すように、神の臨在があるゆえに、私たちはどんな状況でも平和を保つことができるのです。
このキリストの平和は、私たち個人だけでなく、教会という共同体においても重要です。コロサイの信徒への手紙3章15節は、キリストの平和が私たちの心を支配し、その平和にあずかるために私たちは「一つの体」(教会)とされたと語ります。教会に集い、礼拝し、祈り合うことで、キリストの平和は単なる理念ではなく、生きた福音として私たちの中に実現します。
世界が不安に満ちる中、私たち一人ひとりも日々の生活で不安に陥ることがあるかもしれません。そんな時こそ、私たちはイエス様が与えてくれる平和にあずかるために、日々祈り、教会に集い、イエス様の平和に従って生きることが大切です。