2025年3月30日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所 コロサイの信徒への手紙 3章15-17節
「そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」
コロサイの信徒への手紙 3章17節
この一年、私たちの教会は、4月の牧師就任とともに新たな歩みを始めました。4年に及ぶパンデミックを経て、私たちは「新しい教会像」と「新しい牧師像」を掲げ、共に模索しながら進んできました。教会員一人ひとりが心を合わせて働きを担い、徐々にコロナ以前の教会生活のリズムを取り戻すことができました。9月には、近隣教会とともに牧師就任感謝礼拝を捧げ、これまでの歩みを分かち合い、これからの道のりを共に祝福する恵みの時を持ちました。
このような歩みを思い起こすとき、旧約聖書サムエル記上7章12節に記された「エベン・エゼル(助けの石)」の場面が心に浮かびます。サムエルが「今まで、主は我々を助けてくださった」と石を立てたように、私たちもまた、その感謝の思いを心に刻むときに立たされています。
本日の御言葉を通して、私たちが新たな歩みにあたって心に留めたい、三つの大切な教えがあります。
第一に、「キリストの平和に生かされて、感謝をもって歩む」ことです。この平和は、単なる心の安らぎではなく、主イエスの十字架と復活によって与えられた神との和解の恵みです。それは私たちの思いや判断、日々の歩みを導く基準となるものです。
第二に、「御言葉を豊かに宿らせて生きる」ことです。「宿る」とは、「家に住む」という意味を持ちます。御言葉が私たちの生活の中に深く根づき、人生の中心にあるとき、私たちの選択や交わり、祈りや奉仕にもその光が差し込みます。御言葉に生かされる者の自然な応答として、感謝と賛美があふれ出すのです。
第三に、「すべてを主イエスの名によって行う、感謝に満ちた歩み」です。これは単なる道徳的な生き方ではなく、私たちの言葉や行動を通して、主イエスの愛と恵みが映し出されることを意味します。そして、どんなにささやかな日常の営みであっても、感謝の心をもって主にささげるとき、それは神への応答となり、信仰に生きる姿そのものとなるのです。
これから始まる2025年度には、予期せぬ困難があるかもしれません。しかし、主の約束、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイによる福音書28章20節)に支えられながら、私たちは感謝と共に信仰の新たな一歩を踏み出してまいりましょう。この礼拝が、私たちにとっての新たな「エベン・エゼル」、すなわち「ここまで主が助けてくださった」と記す信仰の記念となりますように。