2024年1月28日(日) 主日礼拝宣教要旨
聖書箇所:ルカによる福音書10章30-36節
「ところが、旅をしていたあるサマリア人は、その場所に来ると、その人を見て気の毒に思い、近寄って 傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」
ルカによる福音書10章33-34節/聖書協会共同訳
神は、今、この世界をどのように見ておられるかー大粒の涙こぼしておられるのではないか。「不寛容」なこの世界・社会で、息が詰まるような生きづらさを抱えてはいないか。「隣人愛」についてご一緒に聴いていきた い。
神を愛し「『自分のように』隣人を愛しなさい」から、隣人愛には大前提として「自分自身を愛する」という ことがある。神に造られ愛されている自分自身が生かされている・生きていることをまず肯定し健やかでいるこ とから初めて隣人を思う心が生まれるのではないか。
33 節、「その人を見て気の毒に思い」―「気の毒に思う」ことが、すぐに倒れている人の傍に駆け寄る行動 へとサマリア人を突き動かした。「気の毒に思い」は、ギリシア語でスプランクニゾマイー「はらわたがちぎれ る思い」と言い換えられる。
サマリア人は、命を助けるために、多くのリスクを背負った点でも、イエス自身を表しているのでは。常識外 れの行動で人の「いのち」を救おうとする土台に「スプランクニゾマイ」がある。そこに神の深い憐み、慈し み、共に悲しみ傷み、時に憤るほどの愛をみる。
イエスは、このたとえ話で、あえてユダヤ人から嫌悪されているサマリア人をヒーローとしたか。イエスの挑 戦的な問いかけ。貧しく弱い者たちが分断させられている社会構造に気づこう、一人の力は小さくても、互いの 垣根を超えて連帯していこうとのメッセージでは。
私たちは、直ぐに具体的な行動がおこせなくても、イエスの「スプランクニゾマイ」を意識し続けることで変 化は訪れる。様々な垣根を超えて、互いに真の隣人となる時、不寛容な余裕のない生き方が変えられ、この社会 が少しでも変えられていくのでは。
「すべてのいのちが尊ばれる世界を目指して、互いに助け合うものとしてともに生きる」―女性連合の新たな ヴィション(案)。「隣人を愛すること」痛みや悲しみを共感・共苦し話を聴きあうことで、互いに助け合いとも に生きる世界、命を輝かせられる世界が生まれるのではないか。