「 自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」
ローマの信徒への手紙12章1節
細井留美牧師(東京北キリスト教会)
西川口教会では、主任牧師不在の期間、信徒の方々の働きが教会を支えて来られたことと思います。献身者の減少や、教勢が落ち牧師招へいが困難な教会が増える中で、信徒が教会の働きを担うことの必要性はこれからますます大きくなっていくでしょう。
パウロは、書簡の中で教会をキリストの体にたとえます。私たちの体が多くの部分から成り立ち、それぞれの部分が違う働きをするのと、教会は同じだと言います。信徒の一人一人に異なる賜物が与えられているからです。牧師や役員、一部の奉仕者の働きだけでは、教会は成り立ちません。教会に連なる一人一人が与えられた賜物を神さまに献げていくときに、教会はキリストの体と成るのです。
ローマの信徒への手紙の11章まで、神の恵みについて語ってきたパウロは、12章から、神の恵みへの応答的な生き方を勧めます。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」とは、神さまからいただいた恵みの賜物を用いて、神に仕えることであり、その賜物を用いて教会を支えることであり、それこそが、「なすべき礼拝」です。
コロナ・パンデミックの中で教会の大きな課題の一つは、以前のように会堂に集うことが難しいことであり、以前のような親しい交わりを持つことが難しいことです。そのことは、教会がキリストの体としてつながっているという感覚を希薄にしてしまいました。希薄になった関係を再び結んでいくために、互いの状況を知り合い、祈り合っていくことが大切です。また、礼拝だけでなく、祈祷会や教会学校の聖書の学びのように、相互に感じたことを伝え合ったり学び合ったりする場もとても大切です。
With コロナの時代に、どのように私たちがキリストの体という共同体性を大切にし、形作っていけば良いのか、時には他の教会の様子も聴いて、互いに励ましあっていくことができればと思います。