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主日礼拝宣教要旨

2023年3月12日(日) 主日礼拝宣教要旨「受け容れられた者として」マタイによる福音書5章43-48節

「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

マタイによる福音書5章48節

西川口キリスト教会 M.I


「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(44 節)」とイエスはすすめています。そして、イエスはそう語っただけではなく、語られた通り身をもって実行されたのです。イエスは十字架によって新しい神との関係を示されました。イエスは当時世の中からはみ出した者、いわゆる罪人と言われる人のそばに行き、寄り添い、友となられました。さらに、十字架の贖いによって救われる新しい道を示されました。イエスは自分を十字架につけようとしている者のために、十字架の上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているの
かわからないのです」と執り成し祈りました。そして、私たちの罪のために十字架の苦しみを受けながら死に、3 日目によみがえりました。わたしたちは、この主イエスの十字架を仰ぎ見るとき、自分の罪深さを知ります。そして自分の罪が赦されている恵みを受け、神に祈らずにはいられなくなります。イエスの十字架は、クリスチャンだけのものではありません。すべての人の救いのためにあります。神の前では、私たちはお互いに赦されている、命を与えられている存在です。神と自分との関係に目を向けどんなに赦され愛されているかを知れば、相手を否定することはできなくなります。相手も同じように神は赦し愛されているのですから。とは言っても、すぐに人を見て自分中心の括りで判断してしまう私たちです。それでも神は何度でも神の前に立ち帰ることを待ち、やり直しを許してくださるのです。なんと素晴らしい神の恵みでしょう。

 「天の父が完全であられる」というのは、わたしたちに分け隔てなく愛を注がれるということです。「あなた方も完全な者となりなさい。」というのは、私たちはその愛を受ける者として、へりくだり素直に自分を認めて神と向き合う、そしてお互い罪赦された者として祈りあうことなのではないでしょうか。

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