「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」
詩編46編2節
朴 思郁 協力牧師
本日の聖書には、「わたしの避けどころはどこなのか」という問いかけに対して、三度も繰り返して応えています。まず、2節に「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦」、8節の最後には、「ヤコブの神はわたしたちの砦の塔」、12節にも、改めて「ヤコブの神はわたしたちの砦の塔」と言います。イスラエルの人々はこの詩編を通して、すべての自然や民族、歴史を支配しておられる主なる神が自分たちと伴ってくださり、力になってくださるゆえに、如何なる困難の中でも守り、導いてくださることを賛美しているのです。
この詩編がいつ書かれたのか、その背景について幾つかの説がありますが、その中で多くの人に認められているのは、旧約聖書の歴代誌下32章に記されている出来事です。つまり、南ユダ王国のヒゼキヤ王の治世に、アッシリア帝国のセンナケリブ王の侵略から救われたときであると言われています。エルサレムは、高い丘に建てられた天然の砦と言われますが、エルサレムには、アキレス腱と言える致命的な弱点がありました。それは、飲水の水源となる川や河川が一つもないということでした。
18万5千人もののアッシリアの大軍によってエルサレム城壁が取り囲まれたとき、ヒゼキヤ王は、エルサレム城壁の外にあるギホンの泉から地下を通ってエルサレムの中に水が供給できるようにトンネルを造りました。絶体絶命の窮地の中、敵の脅威の中で、エルサレムの人々を守ってくれたのは、頑丈な城壁や強力な軍隊より、ギホンの泉からヒゼキヤのトンネルを通って、シロアムの池に流れてくる「いのちの清水」でした。アッシリア軍隊の侵攻を受けながらも、エルサレムの中で耐え忍んでいたイスラエル人々は、すべてのプロセスが神の恵であることに気づかされ、その信仰告白の歌をもって神を賛美しているのです。
教会歴史上、詩編46編を誰よりも愛していたのは、宗教改革者のマルティン・ルターでした。先頭に立って宗教改革を率いていたルターは、時には地震のように、時には洪水のように、時には津波のように自分の前に立ちはだかる危険と試練を前にして、詩編46編を常に口ずさんでいたと言われています。そして、ルターは、詩編46編に基づいて賛美歌を作りました。それが、新生賛美歌538番 『神はわがやぐら』です。
私たちは、深い霧に覆われている道を歩むように、不確かな現実に生きています。何が起こるか、この先がどうなるのか、不安を抱えているのです。しかし、いつ、如何なる状況に置かれていても、「神はわたしの避けどころ」と歌いつつ、それぞれの信仰の旅路を歩み続けたいと願います。