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主日礼拝宣教要旨

2022年9月18日(日) 在宅主日礼拝 宣教要旨 「イエスさまは私たちの平和」エフェソの信徒への手紙 2章11-22節

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」 

エフェソの信徒への手紙 2章14節

鮫島泰子 牧師 (神戸伊川キリスト教会)

 日本ではコロナ危機の終息の目途すら定かでなく、世界ではウクライナへのロシアの侵攻が7か月の長期に及んでいます。原子力発電所が攻撃の射程にあって世界が破壊され兼ねない状況下にあります。パキスタンでは国土の3分の1が水没するという自然災害に見舞われ、深刻な内戦や戦争による被害や人道危機、飢餓など、上げ始めればきりがないほどに、世界は混沌の状況を呈しています。そのただ中にあってキリスト教会もキリスト者も、半ば強制的にあり方の変更、生活の変容を求められて来ました。信仰者個人のレベルにおいても、この世界の暗闇のただ中で自らの小ささ、弱さを嘆き、痛みと疲れの中にたたずむしかないのが現実です。
 今朝は、今世界が最も欲している「平和」について聖書から聴き思いを巡らせます。激しく希求しつつも、具体的にそれが何か、何を欲しているのか、そう問われると概念的な答しか浮かんでこないのではないでしょうか。一人一人が置かれた位置によっても「平和が何か」は変わってくるでしょう。しかしキリストが与えて下さる平和は、人の側の都合や状況や希望やその他の諸条件を一切問わず、すべての人の魂に安らぎを与え、心に希望を与えるものである、と言うことが出来ます。パウロが、実に、キリストはわたしたちの平和であります(エフェソ 2:14)。と言っている通り、キリストの平和は例外なくすべての人にとっての「平和」なのです。
 パウロは、イエスさまがすべての人に平和をもたらすために様々な働きをしてくださったことを記しています。人の心の中の敵意を滅ぼされた。人をむやみに縛る律法を廃棄された。敵対者同士を霊で結び神さまに近づけてくださった。私たちがぜひ覚えたいのは、そのためにイエスさまが十字架の死を通ってくださった、ということです。すべての人々が本当に平和を享受するためには、イエスさまの血が流されずには済まなかった、ということです。この天上の真実、神さまの一方的な慈しみを知らない限り、平和とは概念に過ぎず、権力や暴力、努力によって、あるいは多くの犠牲が払われた末の、一部の人たちのためだけの安全安心でしかない、と私は思います。私たちキリスト者は「真の平和を知る者」としてこの世に置かれている。そのことを今心に刻みたいのです。


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