「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に 福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」
使徒言行録 16章 6-10 節
村田 悦 牧師(大分キリスト教会)
パウロの第二回宣教旅行は、思い通りにいかないことの連続でした。恩人であり、大切なパートナーであったバルナバとの別れに始まり、今日の箇所にも、ことごとく行きたい道が閉ざされる様子が語られています。
当初、パウロ一行が計画していたのは、アジア州で御言葉を語ることでした。しかし、「聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテア地方を通って」(6 節)行くことになりました。今度は、そのまま北上し、ビティニア州に入ろうとしましたが、またしても「イエスの霊がそれを許さなかった」(7 節)と記されています。聖霊が禁じるとか、イエスの霊が許さないということが、どういう事情だったのか、正確にはわかりませんが、思うようにならないことの連続だったことが伝わってきます。
そんな歩みの中でトロアスへとやってきたパウロは、その夜、幻を見ました。一人のマケドニア人が「私たちを助けてください」(9 節)と願う幻でした。この幻を見て、パウロは「神が私たちを召されているのだと確信」(10 節)したと記されています。思うようにならないことが続く中で、苛立ちを覚えたり、徒労感を感じたり、自信を失うこともあったでしょう。トロアスに着いた時は、「なぜ、こんな場所に来てしまったのか」と、不安に思ったでしょう。でも、神が召しておられると確信した時、そんな全ての歩みが、報われたのではないでしょうか。
パウロのように、私たちも、行きたいところに行けず不本意なところに置かれることがあります。しかも、それを自分のせいだと思ったり、意味を見出だせず苦しんだりすることがあります。そんな時のために覚えたいのです。神様は、私たちの人生に、意味を与えてくださるということを。私たちが見出だせなくても、私たちには生きる意味があるし、そこに置かれている意味があるということを。その意味が示される時を信じて、置かれた場所で、できる限りを、献げていきましょう。
アイキャッチ画像