朴 思郁 協力牧師
そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。
詩編8章5節
詩編8篇は、聖書における人間理解を「詩的」に表していることで有名な箇所です。パスカルは、『パンセ』で、「人間は考える葦」として、自然界における人間の弱さを抱えながらも、人間の中には、ほかの被造物には見られない、「思惟する力」が内在しているということを表しました。それは、ある意味、人間自ら自分自身を勇気づける、いわば「人間中心的な思想」を強調する人間理解です。
そのような人間理解とは違って、詩編8篇は創造主をほめたたえる、いわゆる「賛美の歌」の文脈の中で、人間を理解しています。つまり人間を独立的な存在ではなく、創造主の神との関係性の中で理解しているのです。詩編に詩的に描かれている人間は、「か弱い存在」、つまり神の顧みと助けがなければ、自らの力では生きることのできない存在であることを示しているのです。
しかし、神は、そのような「か弱い存在」である人間を「神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。」(6,7節)と言います。つまり、人間は神によってこの世界の「管理者」としての役割をゆだねられているのです。それが、聖書に示されている人間理解なのです。常に「幼子、乳飲み子」に象徴される謙遜と純粋さを覚えつつ、神に委託されたこの世界における責任と役割を果たしていくのが、私たちのもつべき人間理解です。
「ポストコロナ」、即ち、「コロナ危機以降」の生き方を考える際に、最も大切なのは、本来の意味の「イマーゴ・デイ(神の像)」の姿を取り戻すことであると思います。それは他ならぬ、これまであまりにも人間中心的になってしまい、自然環境をはじめとする、この世に存在するものを自分勝手に利用したり、支配したりしてきたことを省みると同時に、これからは高慢にならず、支配者ではなく、存在する全ての被造物と「共に生きる」という謙虚な考え方を、今後のライフスタイルとして身につけていくことでしょう。
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