斎藤 信一郎 牧師
すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。』
マタイによる福音書 4章28-29節
ガリラヤ湖で五千人以上の人々を相手に宣教した直後の主イエスと弟子たちでした。主イエスは舟で弟子たちを先に出発させ、群衆を解散させてから一人祈るために山に退きます。ガリラヤ湖特有の嵐に見舞われて悪戦苦闘し出す弟子たち。すぐにでも助けにいくことができた主イエス。しかし、夜明け頃になって主イエスは荒れ狂う湖上を歩いて彼らの元に向かいます。人生の嵐と向き合うことによって信仰が試されることも彼らには必要だったのでしょうか。いずれにしても、大切なのは、主イエスがすべての行程を見守って下さっているということ。そのために、執り成し祈って下さっているということ。そして、最終的には万事が益となるように責任を持って導いて下さるということです。
舟に近づく主イエスを見て、幽霊だと恐れた弟子たちでしたが、ペトロは今回の箇所で一番注目したい重要な信仰を上記28節で表しました。常識では到底適わないことを主イエスに願ったペトロでした。しかし、動機によっては無謀とも思える祈りが、神のみ心に適うこともあります。その基準とは、主イエスがなさることならば、どんなに自分の能力を超えた業であったとしても、自分にもできるようにと真剣に願い求める信仰です。主イエスは担当直入に「来なさい」と命令し、ペトロは信仰によって一歩を踏み出したことによって今回の奇跡が起こります。
ただし、せっかく主イエスに焦点を合わせ、歩み出したペトロでしたが、現実の厳しい嵐のために主イエスから目を背けてしまったために沈み始め、信仰によって始めたことを中断し、主イエスに助けてもらうことになってしまいます。「主よ、もう一度あなたの元へ行かせてください。」とすぐに叫ぶこともできたはずのペトロ。それでも、彼の現実をそのまま受け止め、主イエスの方から「すぐに」救いの手を差し出して下さいました。主イエスに信頼し、主から目を離さずに一歩ずつ信仰によって歩んでいく幸いを示されます。
アイキャッチ画像 thanks!! to Gerd AltmannによるPixabay