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主日礼拝宣教要旨

2019年5月5日(日) 礼拝宣教要旨 「冷静と情熱を兼ね備えて」 ペトロの手紙一 3章13-17節

朴 思郁  協力牧師

心の中でキリストを主とあがめなさい。
あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、
いつでも弁明できるように備えていなさい。

ペトロの手紙一 3章15節

 5月は「子どもの日」をはじめ、第二日曜日の「母の日」など、家庭と関連する事柄を覚えるときが含まれています。イエスは、「神のみ心を行う人こそ、わたしの家族」という家族に関する新たな理解を言われました。イエスの教えられた「神の家族」とは、血縁による家族関係を否定するわけではありません。むしろ種々の同一性に基づいて内向きかつ排他的になりがちな私たちの傾向を乗り越えて、「すべての人が神によって造られた」という観点をもって、様々な違いのある人々を理解し、受け入れることを促している意味であると思います。それは単に教会に限ることではないことは言うまでもありません。
 ある意味、福音伝道は「他者」と「違い」を受け入れていく、粘り強さと忍耐の求められる長いプロセスと言えると思います。それ故、福音伝道の模範である主イエスをならわなければなりません。イエスは人々と出会う際に、相手を考慮せず、千篇一律で上からの目線で接することはありませんでした。例えば、ヨハネによる福音書では、ニコデモのような学問のある人には、「新たに生まれる」という主題を学問のある人に合わせて取り上げられました。また、井戸に水を汲みに来た初対面のサマリアの女性には、「水を飲ませてほしい」という日常の事柄から対話をはじめ、徐々に話題を広げていきました。 
 福音書にある数々のイエスと人々の対話は、教員が一方的に話す講義形式ではありませんでした。主イエスは、人々との出会いの中で、彼女/彼らの上に君臨することなく、あくまでも相手を中心として、相手の関心事、知識程度、趣向、ニーズなどを考慮して、それらに合わせて接していく姿勢に徹したのです。ペトロが教会外部の人々に対する態度について、「穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい」(16節)と勧めるのは、おそらく主イエスの姿を思い浮かべながら話しているのではないかと思われます。日々の生活の中で、そのようなイエスにならう者になりたいと願います。

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