西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
主題)「アダムからアブラハム」創世記第6章9~10節
「これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」9節
ノアからアブラハムまでの系図は、アダムからノアの時のように一つの章にまとめられていませんが、父親が何歳の時に子どもが生まれたのかがはっきりしているため、22代目のヤコブまでは年表にしていくことができます。すると、その年表から文字だけでは見えてこない様々なことが分かって参ります。
まず、10代目のノアは何代先の孫の誕生まで生きていたでしょうか。年表にすると20代目のアブラハムの誕生後に死んだことが分かります。しかも、ノアの子セムや14代目のエベルは、ヤコブの子孫の誕生まで生きていたことが予想できます。これらの情報から、信仰の父と呼ばれるアブラハムはノアから始まる歴代の10人の父祖たちの祈りに支えられて、カナンの地への旅を無事に果たすことができたと解釈することができます。彼が数々の試練に立ち向かえたのも、やがてユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三つの世界的宗教の信仰の父と仰がれるのも、歴代の信仰者たちの祈りが背景にあったことが見えて来ます。
そのアブラハムは創世記14章13節でヘブライ人(口語訳ではヘブル人=エベル人)と表現されていますが、旧約聖書の言語であり、アブラハム一族が話していた言語であるヘブライ語の成立には、14代目のエベルが関わっていたことが推測できます。
最後に21代目のイサクも、父のアブラハムや子どものヤコブほどには目立ちませんが、22章でイエス・キリストの十字架のあがないを指し示す、重要な役割を果たしています。
間もなく受難週を迎えます。聖書の最初の書である創世記にも、罪のあがないというテーマが豊かに語られていることを覚えつつ、共に信仰の継承に励みましょう。