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主日礼拝宣教要旨

「苦しみの中にある希望」朴 思郁 牧師

2025年3月9日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所 ローマの信徒への手紙 8章 18-25 節

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」

フィリピの信徒への手紙 4章8節

 パウロは現在の苦しみが将来の栄光に比べれば取るに足りないと教えています。人生の試練は避けられませんが、それは新しい希望へとつながる道です。コリー・テン・ブームはこの真理を体現しています。ナチス占領下でユダヤ人を匿い、強制収容所で父と姉を失いながらも釈放された彼女は、その後世界中で神の愛と赦しを証ししました。「どんな暗闇の中にも神の光は届く」という彼女の言葉は、最も深い苦しみの中にこそ神の希望があることを示しています。
 聖書は苦しみが新しい命の前兆であることを示しています。パウロは「被造物が・・・産みの苦しみを味わっている」と述べ(ローマの信徒への手紙8章22節)、出産の痛みが新しい命につながるように、苦しみには希望が伴うと教えています。コリーも収容所で神の導きを体験しました。彼女たちのバラックに発生した蚤は最初は苦しみでしたが、皮肉にもその蚤が看守を遠ざけ、自由に聖書を読む機会をもたらしました。「神は万事を益とされる」(ローマの信徒への手紙8章28節参照)という約束が、思いがけない形で実現したのです。
 「見えるものに対する希望は希望ではありません」(ローマの信徒への手紙8章24節)とパウロは語ります。信仰とは、目に見えない神の約束に希望を置くことです。コリーは収容所で将来自分が赦しと和解を伝える姿を示されました。解放後、彼女は世界中で証しをし、ある日、元ナチスの看守と再会しました。彼が「私を赦してほしい」と手を差し伸べた時、コリーは葛藤しながらも「イエス・キリストの愛によって、あなたを赦します」と告げ、憎しみの鎖から解放されました。彼女は「赦しとは囚人を解放すること。しかし、その囚人とは自分自身なのです」と語っています。
 「被造物も、滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかる」(ローマの信徒への手紙8章21節)。これは罪に縛られた世界が神の救いによって本来の姿を取り戻す希望を示しています。コリーは「私の体は囚われていても、魂は神のもとへ飛ぶことができる」と語り、どんな環境でも神への信頼の中に自由を見出しました。イエスは「子があなたがたを自由にすれば、本当に自由になる」(ヨハネによる福音書8章36節)と約束されています。この自由は今部分的に味わいながら、やがて完全に実現するものです。 新しい年度を迎え、私たちも外的な状況ではなく、神への信頼の中に希望と自由を見出しましょう。コリーのように、苦しみの中にあっても神の約束を信じて歩む時、私たちは神の栄光に輝く自由へと導かれます。どんな暗闇の中でも、神の光は必ず届きます。この希望を胸に、神の導きに信頼して新たな一歩を踏み出していきましょう

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