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主日礼拝宣教要旨

2016年4月24(日) 礼拝宣教要旨 主題「心の中から罪は始まる」 マタイによる福音書5章27-30節

礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎

主題)「心の中から罪は始まる」 マタイによる福音書5章27-30節

「しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」(28 節)

今回の主イエスの山上の説教シリーズの中でも、特に語るのが難しいのが今回の聖書箇所です。性倫理が多様化している現代において、主イエスが教える内容は理解されることも、実行することも決して 簡単なものではないからです。そもそも姦淫とは、モーセの十戒にも登場する人類普遍の戒めとして聖書に登場するもので、これを犯すことは神の信頼、夫婦や人々との信頼を裏切る行為です。神が定めている健全な性の営みとは「神の前で正当な結婚をした一組の異性の夫婦が互いの愛を深め合うため、また子どもを授かるための行為」だと言えます。神が定めている以外の人や、方法で性交渉を行うことが姦淫です。

より具体的な内容例については是非一度、旧約聖書のレビ記に明記されている神のご命令をご確認下さい。特に結論部分であるレビ記18章24~27節によれば、この神の戒めはユダヤ人だけでなく、人類普遍の掟として神が定めていることが強調されています。それほどまでに姦淫は神の目には罪深い行為だということです。その罪が極みに達したことにより、神はカナン地方の罪深い住民を滅ぼすことを決意したほどです。

このような前提から始め、主イエスは既婚者に対してみだらなことを想像することも姦淫の罪に当たると教えました。ただし、マタイによる福音書5章29節と30節を文字通りに受け止めると、とんでもない誤解と過ちを犯すことになります。姦淫の罪を犯したからと言って、目や手を決して犠牲にしないで下さい。主イエスの教えとは、姦淫につながる罪の根を真剣にまた速やかに根絶しなさいということです。主イエスは私たちが最も満足し、だれもが幸せな結婚生活を営むための神が定めた基準を教えて下さっているのです。この祝福の中にすべての人が入れられることを心から願います。

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