2016年12月18日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「真の幸せの条件」創世記2章21-23節
「人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」アダムは神が連れてきた様々な動物や鳥の中に自分に最適な「助ける者」を見つけることができませんでした。そこで神は彼を深い眠りに付かせ、あばら骨の一部を取り出し、それを用いて相手の女性を造りました。その部分はどうでもいい部分ではなく、むしろ霊魂が宿る必要不可欠の部分でした。従って、それまでのアダムが人類史上最も完全体だったとすれば、その後のアダムは完全体ではなくなり、不完全な存在になってしまったのです。
しかし、神がその女性を連れて来た時のアダムの反応はどうだったでしょうか。自分のことよりもむしろ連れて来られた女性を見て、これまで見せたことのない感情を表に出しながら喜んだのです。恋をする人は自然と詩的になると言いますが、アダムは男という意味の言葉「イシュ」の語尾を女性形にした女「イシャー」という名前をすぐさま作って相手の女性を心から歓迎しています。彼が人生を心から喜ぶためには、互いに尊敬し、支え合いながら生きて行くことのできる仲間と不完全な部分が必要だったのです。
神が人類を罪とその呪いから救うために、この世にキリストを送って下さった方法も、これと無関係ではありません。神は空から完全な救世主を降臨させる仕方ではなく、最も非力で助けなしには生きられない赤ん坊の姿で、救い主イエス・キリストを送られました。それまで永遠かつ完全であられた神のひとり子が、怪我や病気にもなり、死ぬ存在になられたのです。そして、キリストは神から託された人生の使命を最後まで忠実に果たして行かれたのです。それまでとは違って、不完全な存在になってしまったことは、神に従うことを妨げる条件にはならなかったのです。
クリスマスは、救い主の誕生を喜び祝う時です。そして神が人類の罪と呪いを共に背負い、そこから救い出して下さることを感謝し、神に礼拝を捧げる時です。クリスマスをお祝いできることを感謝します。