主題)主の祈りの第5番目「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をも赦したまえ」
「罪からの救出」 2015年6月28日 マタイによる福音書18章15~20節
この世には二通りの人間しか存在しません。神に絶対に赦していただく必要がある罪を持っていることを自覚し、神に罪の赦しを求めてバプテスマを受け、クリスチャンとして生きている人か、神に罪を赦していただく必要があることを十分に自覚しないで生きている人です。どちらの人も神の御前には罪人です。どちらも死ぬまで罪の誘惑を受け続けてこの世での生涯を過ごすことになります。しかし、両者には天地ほどの差があります。神の御前に罪を自覚し、神に告白し、主イエス・キリストの十字架のあがないを受けている者は天国への道が開かれており、そうでない者は天国への道が閉ざされたままになっているからです。
それを大前提として、今回の箇所はこの世においてクリスチャンが罪を犯し続けている場合の注意の手順について語っています。まずは罪を犯している兄弟と一対一で話して悔い改めを導きます。それがうまくいかない場合には二人で、それでも難しい場合には教会の役員会レベルで検討し、役員レベルでの悔い改めの導きに応じない場合には一度除名するなどして悔い改めがどれほど本人にとって必要不可欠なものなのかを相手に悟らせる手段を講じなさいというものです。この教えは、それだけ忍耐強く慎重に取り組みなさいという趣旨の教えです。人前で相手の罪を指摘して相手に恥をかかせたり、誰かの罪を他の人に言いふらしたりするものではありません。
クリスチャンとは罪を自覚し、罪から遠ざかる努力を日常的に努力し続ける者たちのことです。そしてそれは十字架の死と復活を遂げられた救い主イエス・キリストと聖霊の助けによってのみ可能となることだということを自覚している者たちです。主イエス・キリストが第5番目の祈りを共に祈って下さっていることの意味を正しく受け止めながら共に主の祈りに励みましょう。