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主日礼拝宣教要旨

2014年11月16日「持っていないことの価値」(斎藤信一郎牧師)

「持っていないことの価値」2014年11月16日 礼拝説教 マタイによる福音書6章25~34節

6:25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

主イエスの言葉から今回は「持っていないことの祝福」について3つのことを教えられます。
1. 持っていないことの祝福その1…必要なものを持っていないことに気づくことができる。
私たちが本来目を向けなければならないことに目を向けていないことに気づくことはとても大事です。 25節で明らかにされていることは、命やからだは大切であり、悩みも必ずある。しかし、その他の優先順位の低いことで悩んでいてはならないと主イエスは言われます。正しい信仰の目で状況を見つめ直す時、それらへの悩みは必然的に、また劇的に神様は変えて下さることができるお方です。
2.持っていないことの祝福その2…私たちにはどうすることもできないものがあることに気づく。
27節で「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。」と表現されているように、人生にはどうすることもできないものがあります。そのような状況があるからこそ、神に寄り頼む信仰生活へと導かれるのです。持っていないことに気づかされることは、私たちに真に必要なのは神との正しい関係であり、最も必要不可欠のものに目を向けるきっかけとなります。
3.持っていないことの祝福その3…神の御心に目を向けさせる
33節に「まず神の国と神の義を求めよ。」とあります。神は何を望まれるかという視点でものごとを再検討する時、私たちがあくせくして手に入れようとしているものが実は真に大切なものではなかったことにしばしば気づかされます。この世のすべての生き物は、神の御心を求め、神の意志に従って生きる時にこそ、真の幸せと平安を体験できることを主イエスは教えておられます。

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