人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。(ヘブライ人への手紙9章27-29節)
キリスト教は人格的な関係を前提とする契約の宗教です。神の御子は人となり、人の罪を身に負うて十字架で血を流し、その命を犠牲にされて、神が約束していた「新しい契約」を成就されました。キリストによる罪の贖いは「ただ一度」です。繰り返す必要はないのです。神は聖霊によって、時代を超え、場所を超え、「わたしはあなたを贖った。もはやあなたの罪に心を留めることはない」と語ります。
キリストはもう一度来られます。終わりの日です。その日、神は私たちが神の期待にどう答えたかを問われます。その日、神に背を向けて無意味に生きた人の罪は裁かれるでしょう。しかし、その日、キリストは贖い主として現われ、信じて罪の責めを覆われた者を天の御国に招いてくださいます。信仰者は神の約束を信じて、世界が全く新たにされるその日を待ち望みます。
契約に印鑑を押すように、私たちは信じてバプテスマを受け、神と「新しい契約」を結んだ者です。この契約によって、私たちは神の子なのです。どんなに苦しいことがあっても、私たちには依り頼むことができる天の父なる神がおられます。私たちは神に愛されている者として、この世で神が求める正義と愛を心に留め、神に喜ばれる生活を心がけます。