山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはない。(イザヤ書54章10節)
大震災による津波が町や村を埋め尽くし、原発の放射能漏れが続き、今、私たちの国は厳しい危機に直面しています。神は「山が移り、丘が揺らぐこともあろう」と語ります。神が災害を引き起こすのではありませんが、その背後には私たちのあずかり知れない神の摂理があるのです。人間は平穏無事な時よりも、人生の危機の中でこそ、真剣に生きること、死ぬことについて思いをしのばせ、神に心を向ける機会となり得るのです。「私の慈しみはあなたから離れることはない」という神の言葉が心に届く機会となるのです。主イエスもまた、戦争や民族紛争、また自然災害と言うべき地震、飢饉、疫病の流行について「そういうことは起こるに決まっている」と語り、「これらは産みの苦しみの始まりである」と言われます(マルコ13:7,8)。私たちは手に負えない危機に出会うと、「どうして」と暗い気持ちになります。しかし主は、人が神の国に生まれるための産みの苦しみであると言います。神の国に生まれる者は、危機の時も、そして死ぬ時も、神の慈しみは私から離れることはないと信じて、自分に与えられた課題を受けとめて、祈りつつ、精一杯生きるのです。