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朗読 『一日の発見 365日の黙想』4月24日

4月24日

わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。 

ローマの信徒への手紙15章1節


 パウロはキリスト者の倫理について述べる時、キリストの生き方、特にその十字架の姿を念頭においている。彼は「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。『あなた(神)をそしる者のそしりが、わたし(キリスト)にふりかかった』と書いてあるとおりです」(3節)と言う。キリストは徹底して人を愛し、神をそしる不信仰の罪さえご自分の身に受けとめた。そして、十字架上で、「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは自分が何をしているか知らないのです」(ルカ 23:34)と祈った。
 今日の聖句の「弱さを担う」は、「十字架を背負う」(ヨハネ 19:17)と同じ言葉である。キリストは私たちの罪のために私たちに代わって十字架の裁きを引き受けた。このようにして私たちの罪をあがない、神と和解させてくださったキリストの十字架の苦しみを仰ぐ時、キリストの愛が私たちに迫る。私たちは罪深い人間であるが、この罪人の私がキリストによって神に受け入れられた。「だから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」(7節)と聖書は言う。
 夫婦、親子、兄弟、友人の関係において、人はみな受け入れられることを必要としている。受容こそ人間関係を暖かくする。ところが、性格も、考え方も、育ちも違う人間が交わり、生活を共にする時、私たちは受容の難しさを経験する。互いに受け入れ合うためには、まず私たちがどのようにしてキリストにより神に受け入れられたか、その愛と苦しみを少しでも思うことが大切である。そこから、他者を受容する力が与えられる。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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