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朗読 『一日の発見 365日の黙想』4月17日

4月17日

自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

ローマの信徒への手紙12章1節


 パウロは、御子みこによって人の罪をあがない、神の子とする神の救いについて詳しく述べてきた。十二章からは、救いにあずかった者たちに対する生活の勧めである。この勧めは「神の憐れみによって」(1節)、すなわち、これまで語られた神の救いに基づいてなされる。その第一が、今日の聖句にある礼拝の勧めである。礼拝は、自分の体を神の前に持ち運んで、差し出すことである。礼拝が説教を聞くことだけならば、説教集を読めば良い。「自分の体を献げる」とは、「あなたはどこにいるか」(創世記3:9)という神の問いに、「私はあなたの前にいます」と答えることである。キリスト者は、週の初めの日曜日に、皆がそろって集まり、「私たちはあなたの前にいます」と言って神を礼拝する。ここに、神を天の父と呼ぶ神の家族である教会が見える形で現わされる。
「神に喜ばれる……いけにえ」とは、私たちを神のものとしてくださった神の恵みに応えて、喜んで自分の体を神に捧げる礼拝である。「聖なる」というのは、罪のない体という意味ではなく、「私の体は神のものです」という信仰を言い表わす礼拝である。「生ける」というのは、形式的な礼拝でなく、神への感謝と喜びを表す生き生きした礼拝である。このように礼拝する民(教会)を通して、神は救いの御業を現わされる。私たちは礼拝において、神から新しい力をいただき、神との関係を強められて、「何が神の御心みこころであるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるか」(2節)を教えられて、一週の生活に遣わされる。


著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/

朗読はすべて教会員によるものです。文章と音声の転用はご遠慮ください。
この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。

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